どうして長崎なの?



「遠いけど、ぜひ足を運んでみてよ。そしたらなぜ多くのペンギン好きな人達を引き付けるのか、その秘密がわかるよ」
 本来なら、そう言いたいところだけど、今のところそれは叶わない。 なにしろ、現在発売中のどの旅行ガイドにも「長崎水族館」は載っていない。 98年3月に閉館してしまったのだ。

長崎水族館は昭和34年4月にオープン。当時は、最新の設備と規模を備え、東洋一の水族館と謳われたそうだ。 37年には、捕鯨船に乗ってキングペンギンのぎん吉がやってきた。(長崎水族館の株主は大洋漁業だった)
  彼はなんと、いまでも長崎で暮らしている。
  昭和39には、後に物語のモデルにもなったエンペラーペンギン「フジ」が来園。彼は平成4年(1992)年に永眠するまでに、28年5ヶ月というエンペラーペンギンの国内最長飼育記録を残した。
  それ以外にも多くのペンギンを飼育し、さらに難しいといわれる繁殖にも成功し 現在のペンギン王国を形成する基礎を作っていった。 長寿記録や、多くの繁殖成功例は、すぐれた飼育環境(冷房設備や衛生管理)を長崎水族館が維持し続けてきたことを実績として裏付けているものである。
  だから、水族館ウォッチングをしているとしばしば見かけるような、生気のないペンギンの姿はここでは見られない。
(長崎水族館の歴史については、長崎大学の学生さんが作ったホームページ
「長崎水族館物語」に詳しく紹介されています)


  ところが、不景気の波は長崎水族館にも容赦なくおそう。 長崎水族館の経営は「長崎観光開発」という私企業だったのだが、施設の老朽化や来客数減少などを理由に98年春に閉館することになったのだ。
  発表直後から、ネット上では存続を望む声が上がり、地元では存続を求める署名運動も始まった。 しかし、施設の老朽化などは否定しがたく、単独の企業活動としてみれば収益の改善は難しく、閉館の決定は覆えることはなかった。そして以後のことは白紙のまま閉館を迎えることとなった。
  98年3月の閉館直前には、私たちを含めて、多くの愛好家が長崎を訪れ、閉館を惜しんだ。
  4月以降も、人が訪れることのなくなった館内で、行く宛も決まらぬまま飼育は継続された。 そして9月に朗報が届く。署名運動は無駄ではなかったのだ。 長崎市の経営のもと再建が発表されたのだ。ペンギンたちは長崎市へ無償譲渡されることとなった。新しい水族館は2001年春にオープンする。


  99年の5月、唐突に情報が届いた。なんと1日だけ、旧長崎水族館が 一般解放されるというのだ。あまりに急だったのでその時は私たちは断念せざるを得なかった。Penguin Squareのままぺんさんがレポートを公開しているので ぜひ一読していただきたい。 そのレポートにも、「夏にも開催」と書かれていたので、次回開催の知らせを待ったが 結局この夏には開催されることはなかった。
  そして、99年の11月、またもや唐突に「第2回ペンギンと遊ぼう会」の知らせが舞い込んできた。私たちが知ったのは開催の10日前、しかし当然即決。行ってきました。
  この時のレポートは、左のメニューバーからリンクしています。



このへんまでが、pengaholicが長崎にこだわる理由です。
じゃあ、どうして応援するのか? いくら経営が地方自治体に移って、建物が新しくなっても、場所が旧水族館に隣接しているというならば、長崎の一般的な観光ルートからは依然としてはずれているわけで、来客数減少という問題は解決されないのではないか?  かたや、インターネット上には僕が知っているだけでも多くの水族館ウォッチゃーがおり水族館を面白くすることについては、みんなたくさんアイデアを持っているんじゃないかな。そういうネット上の意見や要望やメッセージを伝えていきたくて、このページを 作りました。専用掲示板を作ったので、どんどんとメッセージを書こう。で長崎の方も掲示板に参加して頂けたら話は早いのですが、無理な場合はFAXや郵便で必ず現地へ届けます。もしその中に質問などがあれば、YAMAZOが聞いてきます。


最後に、これが本当の理由…、長崎水族館のスタッフ、長崎市の担当の方、そしてペンギンたちに出会ったら、これがどうしても応援したくなっちゃうんですよ!
みんなで盛り上げようぜ!