某月某日某曜日 くもり

日は唐辛子のふるさと、薬研堀にやって来ました。ふるさとってのはオーバーですねぇ。唐辛子っていうくらいですから中国から来たのでしょうし、こんな東京の真ん中に畑や工場があるはずもありませんもの。でも唐辛子といえば「やげんぼり」じゃぁありませんか。お蕎麦屋さんに行っても、テーブルの上に可愛いあの入れ物が置いてあると、美味しいかもしれないと思いますからね。
 

その55
『薬研堀』
2004.2.1up
今までの旅日記
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  昔は薬問屋が一杯あったのかなぁ。だから薬研なんて名前がついたんでしょうね。 でも今では横山町や岩本町が近いから、服飾関連のメーカーや問屋が一杯。そんなビルに挟まれて、大きくはないけどちょっと変わったお堂が薬研堀不動院です。唐辛子なだけに、どこか唐風な感じがして・・・って違うって。でも唐辛子の材料はみんな漢方薬ですから、何となく薬に繋がりはあるみたい。
  実際に薬研堀っていう地名はなくて、東日本橋二丁目っていうんですよ。日本橋はもの凄く広くて、横山町も正式には日本橋横山町。だけどここは戦前、両国って言ってたそうですよ。今では川の向こう側だけが両国ですけど、そうじゃなかったんですって。しかも靖国通りを挟んで反対側は柳橋。料亭や待合いが軒を連ねる粋な町の面影が、未だ何となく残っていますよね。その柳橋が賑わっていた時代、この薬研堀界隈も立派な歓楽街でした。一通りの物は全てここで賄え、しかもカフェー、レストラン、 和菓子屋等、柳橋のリクエストに応えられる程だったそうです。
  残念ながらその名残は何もありません。味気ないビルばかりが立ち、ここが華やか な両国だったことを知っている人も、きっと少なくなったことでしょう。まぁ、これ も町の宿命ですか。階段を登ってお参りをして、さて、これから何処へ旅に出ようか なぁ・・・